☆高橋ROCK ME BABY
10才でロックに目覚め、16才の時にRCサクセションを観て、生き方が決まる。以後、ずーっと清志郎を追いかけている。メイクに派手な衣裳、清志郎のコスプレをしたドカドカうるさいR&R宣伝マンとして一躍有名になる。その後、清志郎の特命係として様々な仕事に関わり、2009年5月2日、光栄にも青山ロックンロールショーのMCを担当。現在も清志郎を追いかけるスウィートソウルデラシネとして、エンターテインメント業界をビンビンにキめてぶっ飛んでいる。夢は「BARCAレーベル」のバトンを受け取った「ROCK ME BARCA(ロックミーバーカ)レーベル」を設立して、ゴキゲンなロックンロールレコードを作り、次々、リリースすること。日本のスタックスを作りたい!
☆ ちわきまゆみ
日本を代表するロックン・ロール・クィーン。80年代にMenuというバンドでデビューし、日本のグラム&ニューウェーブ・カルチャーの立役者となる。ソロアーティストとして東芝EMIと契約。RCサクセションのレーベルメイトとなり、アルバム「COVERS」にコーラスとして参加。それから清志郎との交流がはじまる。幼少の頃から東京の中心地で育った五感で、時代の空気とあらゆるフィールドをクロッシングする活躍は、ひとつのカテゴリーに括れない。88年、横浜で開催された東芝EMIの大型コンベンションにて、清志郎がトリで登場!まだ発表前の「ラブミーテンダー」等、「COVERS」のナンバーをぶっ放し、コンベンションに来場していた満員の関係者が唖然としている中、清志郎の呼び込みで、キラキラのミニスカートで踊りながらゲスト・コーラスで飛び入り!この瞬間、ロックン・ロール・クィーンの座を手に入れた。現在はパーソナリティーやDJとしても、ジャンルを越えてボーダーレスで活躍している。
☆きくち伸
言わずと知れたフジテレビ「音組」エグゼクティブ・プロデューサー。稀代の名物プロデューサー。
☆黒木彰一
「SMAP×SMAP」「笑っていいとも」プロデューサー。
☆宗像和男
留学先のパリから帰国後、キティーレコードに入社。1979年~1982年まで5人になったRCサクセションのアーティスト担当。画期的なアイディアと熱意と努力でRCサクセションをブレイクさせた中心人物。当時、音楽メディアではまったく相手にされなかった為、無謀にも一般メディアに斬りこみ、向こう側に突きぬけた!氏のおかげでRCサクセションは日本ではじめて成功したロックン・ロール・バンドとしてだけではなく、普通の女子中高生でコンサート会場がいっぱいになるスーパースターになり、長い暗黒から一気にスタジアムへかけあがった。一般社会で清志郎が有名になるきっかけを作った張本人。ロックがメジャーになる瞬間を演出。いまロックがあるのも、清志郎と宗像氏の扉を開いたからだ!また、邦楽としてははじめて、レコードの帯にキャッチコピーをつけた功績も大きい。有名なコピーは「こんな最高の奴らと同じ時代、同じ国に生まれてしあわせだぜ」RCサクセションのブレイク作「RHAPSODY」よりその後は、BMG音楽出版の代表取締役として、クレイジーケンバンド、はまだまりこ等を売り出し、現在はご自身の会社をたちあげ、新しい才能を見出すプロデユーサーとして有名である。
☆ 近藤雅信
アルファレコードでYMO等のA&Rで活躍後、東芝EMIにヘッドハンティング第一号として業界にその名を轟かす。1980年代中頃~1990年代半ばまで東芝EMIのプロデューサーとして、RCサクセション、THE TIMERS、HIS(このユニットは氏がある日作成した!細野晴臣、忌野清志郎、坂本冬美)etc清志郎の音楽全般に深く関わる。ファーストソロアルバム「RAZOR SHARP」やRCサクセション「COVERS」、THE TIMERS、HISの革新的仕掛けはヒットとともに、社会現象や事件にもなった。氏の人並みはずれた情熱とエネルギーが、忌野清志郎というスーパースターを一世紀後にも語り継がれるカリスマとして、その存在を永遠に刻み込んだ。特に発売中止事件後のアルバム「コブラの悩み」のリリース時、清志郎がインタビューで、レコード会社を移籍しない理由について、「近藤みたいな奴には会えないから。」と語ったのは、全ての若き音楽関係者も目標にもなった。数々の破天荒な伝説も多く、人がやらないようなことを成功させる天才。現在のロックの戦略の基本を作った功績は大きい。EMI制作・宣伝部長後、EMIイギリスへ。帰国後、ワーナーミュージック・ジャパン常務~ユニバーサルミュージックのレーベル・ヘッドを経て、現在、ご自身の会社「V4」にて岡村靖幸氏のマネージメント、最近ではヴァン・ダイク・パークスのアルバムをリリースしたり、相変わらず"人のやらないこと、人とは違うこと"でロックしている。
☆中原裕志
関西の有名なイベンター サウンドクリエーターの取締役 兼 日本全国のコンサートツアーをプロデュースする新会社 HAPPY HEADS MUSICの代表。ロックシーンの有名人物のひとりで、とにかくフェスやイベントや飲み会等、自分の仕事以外の場所にも神出鬼没に現われる。81年、岡山市民会館でRCサクセションを観て、生き方が決まり、業界を目指して、大学卒業後、サウンドクリエーターに入社。80年代後半よりRCサクセションの仕事に携わり、2000年代にはレギュラーで大阪城ホールで開催された「ナニワサリバンショー」をプロデュース。トリビュートフェスを超えたライブショーは後のイベントに大きな影響を与え、さらには映画にもなり、音楽映画としては三ヶ月にも及ぶロードショーでロングラン・ヒットとなった!清志郎から絶大な信頼を得ており、清志郎とふたりだけでベンツで大阪のベイエリアを走り回ったり、東京ドームに清志郎とストーンズを観に行ったり、みんなから相当うらやましがられた。FCイベントでプロモーションでメイクした中原さんの写真を見た清志郎が「コンセプトがよくわからない」と親しみを持って大笑いしていたのが印象的。清志郎と宮藤官九郎のふたりの天才で作ったロックンロールテーマナンバー「ナニワサリバンショー」は超人的傑作!CD化してほしい!
☆シャブちゃん(本名 山本キヨシ)
80年代後半から清志郎のギターテクニシャン。ユニークなキャラクターが清志郎の目にとまり、ギターテックとしてだけではなく、ある時はバンドメンバーとして、ある時はアトラクションの出演者として、表舞台でも有名になる。清志郎命名「シャブちゃん」の愛称で親しまれ、2000年代以降には、マントをかけるキャラクターとしてブレイク!武道館やフジロック等、ロック史上に残る数々の場面に当事者としてオンステージ!バンドマンとしても活動。清志郎のプロデュ-スでソロアルバムも発表している。2002年のフジロックでは清志郎と矢野顕子をバックにグリーンステージでオリジナル曲を歌った!クロマニヨンズ、阿部真央etcのギターテックとして活躍する一方、原宿にあるアムリタギターショップの店長として、本物のロックのサウンドを追求している。
☆島津由行
スタイリスト、ファッションディレクター。91年の「Have Mercy」ツアーの時のヴィヴィッドなスタイリングは、その後のロックシーンに大きな影響を与えた。ロックやファッションという種族を超越した生き方がそこにある。つまり、洋服も音楽も、そして、人間の毎日は「自分にしかできない」生き方であり、それは世界とつながっていることをおしえてくれたんだ!その後、「2・3'S」「BLUE NOTE」でのライブ、「ナニワ・サリバンショー」、また清志郎氏が出演していた広告の衣裳なども担当していた。1959年熊本生まれ。マガジンハウス『POPEYE』のスタイリストとして活躍後、現在は広告や『GINZA』、『花椿』、『CUT』、『COOLTRANS』、『GROOVE』などファッション誌でのスタイリングやファッションディレクションを手がけるほか、矢沢永吉氏、氷室京介氏、岡本靖幸氏の衣裳製作、スタイリングも担当。また、映画『キューティーハニー』、舞台『BONNIE&CLYDE』、ファッションショー『FACTOTUM』、『MARK STYLER』のスタイリング,ショーの選曲、DJと多岐にわたり活動中。
<アシスタント>
☆愛夏(あいな)
女優。19才。「リング」で世界的な中田秀夫監督のドラマ「クロユリ団地」で2013年にデビュー。中田監督が演出した下着姿の女豹のポーズがアジャストして、現在、注目されはじめている。また、黒い瞳、長い髪と脚がうけ、自転車シーンの新しいプリンセスとしても専門誌に連載。各メディアや海外からのオファーも!今年の春からのハリウッドビューティサロンの広告キャラクターに抜擢!清志郎によって生き方を決めた人がマネージャーということもあり、今回、キャラクターとして、清志郎Barのバーテンダー兼ウエイトレスとして出演。ちなみに母親が経営している飲食店を手伝っていたところを雑誌に取材され、それを見た関係者にスカウトされ、芸能界入りしたこともあり、料理と接客業はプロである。